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東京高等裁判所 平成10年(ラ)927号 決定 1998年9月16日

抗告人

甲野花子

同代理人弁護士

足立定夫

相手方

乙山太郎

同代理人弁護士

小林彰

未成年者

乙山一郎(平成6年2月6日生)

主文

一  原審判を取り消す。

二  未成年者の親権者を抗告人と定める。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由

別紙「即時抗告申立書」に記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

(1)  人工受精子である未成年者と親権者の指定

本件の未成年者は、相手方が無精子症であったため、相手方と抗告人が合意の上で、抗告人が第三者から精子の提供を受けて出産した人工受精子である。

抗告人は、このような場合には、未成年者と相手方との間には真実の父子関係が存在せず、嫡出推定が働かないから、法律上当然の帰結として、相手方が親権者に指定される余地はないと主張する。

しかし、夫の同意を得て人工受精が行われた場合には、人工受精子は嫡出推定の及び嫡出子であると解するのが相当である。抗告人も、相手方の未成年者との間に親子関係が存在しない旨の主張をすることは許されないとういべきである。抗告人の主張は採用することができない。

もっとも、人工受精子の親権者を定めるについては、未成年者が人工受精子であることを考慮する必要があると解される。夫と未成年者との間に自然的血縁関係がないことは否定することができない事実であり、このことが場合によっては子の福祉に何らかの影響を与えることがありうると考えられるからである。

ただし、当然に母が親権者に指定されるべきであるとまではいうことはできず、未成年者が人工受精子であるということは、考慮すべき事情の一つであって、基本的には子の福祉の観点から、監護意思、監護能力、監護補助者の有無やその状況、監護の継続性等、他の事情も総合的に考慮、検討して、あくまでも子の福祉にかなうように親権者を決すべきものであると解される。

(2)  当時者双方の養育態度、養育環境、未成年者の受入れ態勢等

この点についての当裁判所の認定、判断は、原審判の理由説示のとおりであって、当事者双方を比較して優劣はなく、双方とも親権者としての適格性を備えているものと認められる。

(3)  未成年者の精神的な安定について

原審判は、相手方宅が未成年者の生活の本拠であるように見られ、相手方宅での生活が精神的にも安定を与えているようであり、他方、抗告人宅での未成年者はやや不安定であって、自分の殻に閉じこもろうとする傾向が見受けられるとし、抗告人への強い甘えや依存は、単に母親を求める気持ちだけでなく、抗告人宅での座りの悪い不安定な雰囲気を解消しようとする意味も含まれているものと解される、と述べている。

しかし、必ずしもこのように判断することはできない。

本件記録によれば、家庭裁判所調査官の調査結果によれば、未成年者は、平成九年三月当時、抗告人宅では抗告人に甘えてあまり外には関心が向かず、一方、相手方宅では、積極的・自発的な行動が目立ったという違いがあるように観察されたことが窺われるから、上記当時においては、相手方での生活が未成年者に精神的にも安定を与えているようであり、他方、抗告人宅ではやや不安定で、自分の殻に閉じこもろうとする傾向が見受けられたという原審判の判断にも根拠がないわけではない(ただし、当時の未成年者の抗告人への甘えが、単に母親を求める気持ちだけでなく、抗告人宅での座りの悪い不安定な雰囲気を解消しようとする意味も含まれていると解すべきであるとするような事情は何ら窺われず、この点の原審判の判断については、そのような結論を下す十分な根拠はないというべきである。)。

しかし、家庭裁判所調査官の調査結果によれば、未成年者は、平成一〇年二月当時に至ると、抗告人宅でもある程度活発に活動するようになっており、相手方宅における状況との間に上記ほどの違いは見られなくなったと観察されたことが窺われる。

そうであるとすれば、平成九年三月当時の未成年者の上記状況は、相手方宅で成育した未成年者が、週の半分ずづをそれぞれの家で暮らすようになって一年足らずの時期に示した過渡的な状況とも解することができ、その後の未成年者の状況をも併せ考慮すると、相手方宅での生活が未成年者に精神的にも安定を与えており、抗告人宅での未成年は不安定であるといえるほどの積極的な理由は見出し難く、したがって、相手方宅での生活を継続させることが未成年者の心身の安定に寄与することになるとの原審判の説示も、十分な根拠はないものというべきであり、首背することができない。

(4)  母親との安定した関係の重要性について

一般的に、乳幼児の場合には、特段の事情がない限り、母親の細やかな愛情が注がれ、行き届いた配慮が加えられることが父親によるそれにもまして必要であることは明らかである。本件未成年者も、年齢的にはそのような母親の愛情と配慮が必要不可欠な段階であると考えられる。

そして、抗告人がこのような愛情と配慮に欠けるところはないことは、本件記録によって明らかである。

ところで、原審判は、「母親」というのは、「生物的な母親」を指すのではなく、「母性的な関わりを持つ対象となった養育者」といった広い意味もあり、相手方は、未成年者との母性的な関わりの代理に努力してきている、と述べている。一般的には、母親に代わる存在と適切な関係が築かれていれば、養育者が絶対的に実母である必要はないといえるであろうが、未成年者の年齢からすれば、相手方が母親の役割を担うことには限界があるといわざるをえない。なお、本件記録によれば、相手方の母親はそのような役割を十分に果しているとは認められない。

以上のとおり、本件においても、母親による養育監護の必要性はいささかも失われるものではない。

(5)  親権者としての相当性

以上述べたところを総合すれば、未成年者の親権者は抗告人と定めるのが相当である。その年齢からして、未成年者は母親の愛情と配慮が必要不可欠であることは否定することができず、養育態度、養育環境、未成年者の受入れ態勢等については双方を比較して優劣はないのであるから、母親の愛情と配慮の必要性を否定して、親権者を相手方にすべき特段の事情は存在しない。

なお、未成年者は出生以来主として相手方の家で生活してきているが、毎週末抗告人の家で暮らしている状況の下においては、監護の持続性や現状尊重をいうほど現状は固定したものではなく、未成年者の生活の場所を抗告人のもとに変更することによる弊害はほとんどないと考えられる。

このように、本件においては、未成年者が人工受精子であることを考慮に入れなくとも、その親権者を抗告人と定めるのが相当であるというべきである。

3 結論

以上の次第であって、本件抗告は理由があり、原審判は不当であるからこれを取り消して、未成年者の親権者を抗告人と定めることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官矢崎秀一 裁判官西田美昭 裁判官筏津順子)

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